「紅茶とミルク、どっちがいい?」
「コーヒーで」
 予想外の言葉に思わず手が止まった。アスベルって、徹底的に苦いものがだめだったんじゃないかしら。
 驚いて振り向くと、ちょうどぴったりのタイミングでアスベルが顔を上げた。かちりと目が合って、私は一瞬、彼の色違いの瞳に溺れるような、眩暈のような感覚にとらわれた。
「何か問題あったか?」
「……ううん、アスベルがコーヒーって、何だか意外だなと思って」
「俺だってコーヒーぐらい飲むさ」
 かすかに笑うアスベルの表情が、なんだか大人っぽい。

 そうだ、彼だってもう子供じゃないんだもの、そのくらい当たり前じゃない。
 頭の中ではわかっていても、ちょっとだけ寂しい。だってここにアスベルは確かにいるのに、私の知らないアスベルが見え隠れしている。
(ずるい。なんだかそれって、いやだな)
 何がずるいのかも、何がいやなのかも分からないけれど、なんとなくそんな言葉がよぎる。
 こんな小さなことにさえやきもちをやいている。自覚しているだけに、余計ひどいのかもしれない。
 私って、実は結構心が狭いんじゃないだろうか。
 きっとまだたくさん私の知らないアスベルの姿があるんだと思うと、なんとなく胸のあたりがもやもやして、落ち着かなくなった。

100207//コーヒーとミルク




 囁くように名を呼んで、頬に触れる。それが合図。シェリアは一瞬だけ緊張するように身体を強張らせると、そっと長い睫を伏せた。
 すべらかな白い頬がたちまち赤く染まる。睫が震えて、彼女はいつも窒息するんじゃないかってくらい息を止める。こんなのは何度だってやっているのに、いつまで経っても慣れないらしい。緊張して固まったままのシェリアの様子は伝染して、こっちまで妙にどきどきしてしまう。でもその感覚は案外嫌いじゃない。俺はこっそり、シェリアに気付かれないように笑って、そっと唇を合わせる。
 そのうちに触れるだけじゃ足りなくなって深く口付けると、シェリアはいつも苦しそうに唇を薄く開き、わずかな息継ぎの合間に涙を浮かべた目で睨み、手を使ってありとあらゆる手段で抗議をする。

 どうせその内に諦めて溺れてしまうんだから、呼吸なんて忘れて窒息してしまえばいいのに。

 シェリアを大事にしたいとう気持ちも本当だけれど、溺れないようにもがく彼女をずるずると引きずり込むこの瞬間も、俺は結構好きだったりする。

100207//鳥と魚




「アスベルって、甘いものとか結構好きでしょ」
 ふと会話が途切れた時、なにげないふりをして適当に作り上げた問いかけをした。別にこんな質問に意味はない。だってシェリアは、この問いに対するアスベルの答えを知っている。だからこそ、答えが返ってくる数瞬の間がもどかしくて、シェリアはたまらず視線を逸らした。
 対して、問われたアスベルは何を急にそんなこと、と訝しげな表情を浮かべながら、何でもないようにさらりと答えてみせた。
「ああ、好きだよ」
 急に何だよ、と続けられた言葉でさえ胸に響く。例えシェリアに向けられた言葉でなくても、好き、という響きは実に甘くシェリアの心臓を蝕んでいく。ふわりと身体が軽くなるような心地になって、唇が弧を描いてしまう。なるべく自然にしようと振る舞いながらも、鼓動は勝手に速くなっていく。
「私も好き」
 甘いものが好き。アスベルが好き。
 彼に伝えるにはまだ勇気が足りない。こんなに幼稚な言葉遊びをするのにも、どうしたって指先がふるえてしまうくらい、シェリアは臆病だ。
 待ってて、いつかちゃんと、もっとがんばってあなたに伝えてみせるから。
 それまではまだ、このひとりよがりの幸福に浸る身勝手さを許していてね。

100207//甘いものと好きなひと