シェリアの白く細い指先が、アスベルの肌にそっと触れた。
 頬が熱い。眩暈がする。彼女の琥珀のように透き通った目が、しっかりとアスベルを捕らえる。
 上昇した体温を知られたくなくて視線を外そうとすると、シェリアはまるで許さないとでも言うように、もう片方の手で首筋に触れた。彼女の髪の香りよりも、冷えた指先の温度に心地良さを感じる。
 きっともう何を言っても誤魔化せないんだろうな。呼吸さえ困難になってきている。アスベルは諦めてまっすぐシェリアの瞳を見つめた。ほんの少しの間視線が交わる。シェリアは小さく溜息をついた。

「……やっぱり、熱があるわね」

 シェリアがあまりにも呆れたように言ってみせるので、アスベルは思わずベッドから飛び起きた。
「大丈夫、ただの風邪なんだから例え熱があったって」
「平気なわけないでしょ! いいから、今日は大人しく寝てなさい!」
 雷が落ちそうな勢いで怒鳴られたにも関わらず、アスベルは怯むどころか不満そうに眉をひそめた。
 だって今日は、ソフィがバロニアに買い物に行きたいと言っていた日だ。これまでの数日間、彼女に付き合ってやるために死に物狂いで溜まっていた仕事を片付けた。夜遅くまで根をつめた結果がこれかと呆れられては何も言い返せないのだが、たかが風邪ごときでソフィとの約束を破るなんて……だめだ、とてもできない。かと言って一人でバロニアに行かせるのもあまりよろしくない。万が一誘拐などされた日には……一体どうしたらいいんだ!
 そういう事を一通り述べると、シェリアは再び溜息をついて苦笑した。
「ちょっとそれは考えすぎよ。大丈夫、私が一緒に行くわ。ついでに何か買ってきてあげましょうか?」
「それはそれで心配だ」
「……それ、どういう意味よ?」
 シェリアはむっとして眉を吊り上げている。彼女の、ばら色のふんわりとした髪が肩をすべり落ちる。昔みたいに長く伸ばすのだろうか。そうしたらきっと彼女は今よりも魅力的になってしまう。アスベルはいたって真剣な眼差しでシェリアを見返した。
「変な男に声をかけられでもしたらどうするんだよ」
「なっ……!」
 シェリアの頬がふわりと赤くなった。
「そういう心配は別にしなくてもいいでしょ! ……もう、変な事ばっかり言うんだから」
「別に変なことでもないだろ」
「いいから、病人は大人しく寝てなさい!」
 毛布を頭から被せられ、アスベルは再びベッドに寝かされた。シェリアの顔をちらと見ると、熱もないくせにまだ頬が赤く染まっている。ちょっとした言動で面白いくらいの反応を見せてくれるのが彼女のかわいいところだ。別にさっきのは冗談でもなんでもなく、真面目で重要な問題だったのだが。
「アスベル」
「ん?」
 呼ばれたかと思うと、シェリアは何も言わずに再びアスベルの額に触れた。少しひんやりして気持ちいい。頭の奥で疼く鈍い痛みが、じんわりとやわらいでいく気がする。素直にそう伝えると、彼女は照れくさそうにはにかんだ。
「早めに帰ってくるから。何か食べられそうならお昼は作るけど……」
「カレーがいいな」
「それはさすがにだめよ」
 ぺし、と軽く額を叩かれ、彼女の手がするりと離れる。さっきまで触れられていた箇所が、妙にすうすうして足りない感じがした。
「ソフィと一緒に何か果物を買ってくるわ。ちゃんと大人しく寝てなさいよ、アスベル」
 子供に言い聞かせる母親のような口調がやけに様になっていて可笑しかった。アスベルは手を伸ばして、シェリアの白い手を掴んだ。細い指先やすべすべした手の甲や淡いピンク色の爪、そのすべてを包むように握りしめる。ひんやりとした体温が、身体の内から上がり続けるアスベルの熱をわずかに吸い上げていく。
 本当はずっとここにいてほしい。けれどそんな子供っぽい言葉は絶対に言えやしない。中途半端に唇を開いて、吐き出す息に乗せてアスベルは呟いた。
「キスしてくれたらちゃんと寝る」
「……なによそれ」
 子供じゃないんだから変なわがまま言わないで、と彼女は困ったように笑った。
 そういえば子供の頃、珍しく風邪を引いて寝込んだ時に変なわがままを言っていたなとふと思い出した。シェリアもあの時の事を覚えているのかもしれない。どうして病気にかかると子供みたいになってしまうんだろう。アスベルは自分自身に呆れながら、シェリアをもう一度呼んだ。彼女はまだ視線を泳がせている。きっと適当に言い訳を作って逃れるべきか、素直に従うべきか迷っているんだろう。

 それでも最後には、彼女は頬にやさしくキスをしてくれるとアスベルは知っている。握りしめた手がほんのりとあたたかくなり、一瞬だけシェリアと視線が交差した。



100219// てのひらに眩暈