「シェリア」
 腕の中の彼女にそっと声をかけると、返事の代わりに湿った吐息が頬を掠めた。闇に慣れた目は彼女の赤い髪と潤んだ瞳のきらめきをしっかりと捉える。未だ息を整えられないのかシェリアの呼吸は速い。はあ、と一つ聞こえる度に、アスベルの中でくすぶっていた熱がまたぐずぐずと温度を上げ始めた。
(落ち着け、俺)
 自らに強く言い聞かせながら、内心こんなにも強く彼女を求めている自分に驚いてしまう。一時の触れ合いでは足りない。互いの名前を呼んだり、手を繋いだり、キスをするだけではとてもじゃないが間に合わない。7年の空白や、シェリアがラントから離れていた間の物足りなさ、彼女を好きだと自覚してから感じていた恋しさや焦燥が抜け切らない。互いの想いが通じたならそれも消えていくかと思ったのに、今度はもっともっと、触れていないと気がすまなくなってしまった。何をしたって埋まらない。シェリアが足りない。こんな事を考えてしまう自分が可笑しい。なんだか自分じゃなくなってしまったみたいだ。身体の中の原素が、シェリアによって書き換えられてしまったのだろうか。
「……アスベル、ちょっと、も、無理」
 シェリアの吐息がようやく言葉を紡いだ。すっかり掠れてしまった声にほんの少しの罪悪感を覚える。と、同時に心臓が甘く疼いた。
「シェリア、もういっかい」
「だっ、だめよ。もう遅いし、アスベルは明日早いんでしょう」
「無理はさせないから」
「そういう問題じゃ、」
 ない、と言おうとしたらしい口を塞いで、ぎゅっとシェリアを抱きしめた。ほんのりと熱を帯びて、普段よりも上がっている体温が心地良い。しっとりとやわらかくアスベルを受け止める、その感触を一度覚えてしまうともう手放せなくなってしまった。
 シェリアは抗議をするつもりなのか力の入らない手で何度かアスベルの背や頭を叩く。それが次第に力なく彷徨い、最後には背に回されることをアスベルは知っている。だからますます抱きしめる力を強くして、身体の全てを使ってシェリアを求める事に集中した。
 一瞬だけ離れて、また何度も求める。シェリアも同じ分だけ欲しがればいいのに。いつもいつも求めるのはアスベルばかりで、彼女は求められるままにすべてを差し出す。その繰り返し。追いかけても追いかけても足りなくなるのはそのせいなのかもしれない。それってなんだか、すごく不公平だと思う。
「その気になったか?」
 庭先を全力疾走してきたみたいに苦しそうに呼吸する彼女がたまらなく愛しい。期待を込めて問うと、シェリアは涙をいっぱいに湛えた目で睨みつけてきた。
「……アスベル、ぜったい、朝起きないじゃない」
「起こしてくれたら起きるさ」
「嘘。いつもあと5分って何十分も粘るのはどこの誰よ」
「明日は絶対に大丈夫だ」
「何を根拠に言ってるのよ」
「それで」
「……何?」
「もういっかい」
 ぎゅ、と抱きしめる腕に力を込めると、シェリアはほとんどの場合、最終的にはこちらのしたいようにさせてくれる。それを分かっていてこんな事をしている。最低だ。そう理解していても、求めずにはいられない。
 暗闇の中で、シェリアが身じろぎする。甘い溜息が唇に触れて、アスベルはさっき約束したようにシェリアを気遣ってやることなんてできそうにないとぼんやり考えた。
(明日は思いっきり怒られるんだろうな)
 シェリアが眉を吊り上げて、頬を赤く染めて怒る様子は容易に想像できた。
 それでも、止まらないんだ。どうしたって。
 空気は未だ熱っぽく湿っている。シェリアの言葉にならない甘い声が、夜闇を裂いて耳に届く。アスベルは明日の朝の懸念も雑念も放り捨てて、彼女と一時の熱を共有する。



100129// あいをたべるけもの