「わあ、すごいわ。ねえ、アスベルも見て。とってもきれいよ」
「俺はいいよ、寒いだけだし」
「……アスベルってば、相変わらずロマンがないのね」
 呆れるような口調でさえ、気のせいか歌うように弾んでいるみたいだ。さっきからシェリアは随分長いこと窓辺に張り付いたまま、ひとりで楽しそうにしている。それがアスベルは少しだけ、いや、全然面白くなくて、窓の向こうを睨んだ。

 今日は気候が比較的穏やかなラントにしては珍しくしんと冷え込み、昼過ぎからはとうとう雪まで降り出した。そのおかげで昼過ぎには届くはずだった書状が夕方になってから届いてしまい、それに伴って仕事も後倒しになってしまった。今日こそは早々に仕事を片付けてしまってシェリアとゆっくりするんだと密かに決意していたのに、天候のせいで台無しになってしまうなんて。まったく、タイミングが悪すぎやしないか。シェリアもシェリアだ。子供じゃあるまいし、雪なんかであんなにはしゃぐことないだろう。大体、あんなものはフェンデルにでも行けば嫌なくらい見られるじゃないか。こっちのことなんか全然見もしないし。
 心の中だけで文句を言いながら、アスベルはシェリアの後ろ姿をじっと見つめていた。咲き誇るバラのような鮮やかな髪の色が、窓辺のくすんだ夜色の中に映えて見える。時折窓を拭うてのひらは白い。窓なんか放っておけばいいのに。何度拭ったところで、どうせすぐに結露で白く濁るのだから。
「アスベル」
 不意にシェリアが振り向いたので、アスベルは慌てて表情を繕った。
「何だ?」
「ううん、呼んでみただけ」
 シェリアは何かを誤魔化すようにはにかんで、再び窓に向き直った。何だよ、もう。雪の何がそんなに面白いんだっていうんだろう。アスベルはじらじらしながら、シェリアのふんわりした髪の束や、すらりと伸びる脚の透き通る色や、ショールの下に隠れた肩の曲線を見つめていた。
「シェリア」
 いくつかの思いを込めて彼女の名を呼ぶ。振り向いて窓から離れてこっちに来い、と言えてしまえばどんなにか楽だろうに。だけど、振り返って「なあに?」と問うシェリアの顔を見ると結局何も言えなくなって、アスベルは先のシェリアの真似をした。
「何でもない、呼んだだけだ」
「何よそれ」
 ふふ、と笑うシェリアの声が、空気に溶けていく。アスベルの気持ちになんかちっとも気付かないのだろう。シェリアの反応はそれだけで、彼女はまた、吸い寄せられるように窓にとらわれてしまう。窓はまだ透き通って、ちらちらと降る雪と紺色の闇が四角く切り取られている。シェリアの髪が鮮やかに彼女の肩を滑り落ちる。アスベルはどうしてか急にたまらなく胸を締め付けられて、半ば駆け寄るようにしてシェリアの肩を抱いた。
「どうしたの、急に」
「……何でもない」
「さっきとおんなじこと言ってるわ」
「いいから、ちょっと」
 黙って、と言葉にする前に、勝手に身体が動いていた。
 シェリアの唇を塞ぐことは何もこれが初めてではないけれど、焦燥と衝動に任せて口付けるのは初めてだ。シェリアは一生懸命首を逸らしているのだから、あまり長いこと浸っていられないかもしれない。
 自分でも変なことを考えていると自覚はしているが、身体は逆に、シェリアを腕の中に閉じ込めてしまおうと躍起になっていた。シェリアはほんの少し身じろぎをした以外は、大人しくされるがままに流されている。
 抱きしめた手にシェリアの指先が触れる。冬の窓に触れてすっかり冷たくなった指先が、アスベルの手と温度を分け合う。頬に触れる髪が、火照った頬にひやりと心地良い。もっとあたためてやりたい。窓に奪われた体温を吹き込むように、アスベルは熱心に唇を触れさせた。
(こんな子供っぽいことばっかり考えていたら、シェリアに呆れられるかもな)

 アスベルはいつだって、シェリアの視線の先を追いかけている。そして、シェリアが強く惹かれるものが自分だけであればいいのにとも願っている。自分がこんなにも酷いエゴイストだったなんて少し前までは思いもしなかったけれど、こんな自分も悪くないと思っている。だから余計に始末が悪い。

 数秒の間、息継ぎのために唇を離すと、シェリアはうっすらと涙を浮かべて瞳に若干の戸惑いを浮かべていた。彼女の瞳の中に映る自分自身の姿をみとめると、アスベルは満足して再び口付けを落とした。
 もしかしたら俺は、自分で思っていたよりも彼女に狂っているのかもしれない。
 じわじわと這い寄る感情の波を押しとどめながら、アスベルはそっと、シェリアに気付かれないようにカーテンを引いた。



100209// 恋するエゴイスト