眉間にしわを寄せて、指先までぴしりと神経を尖らせ、シェリアは繊細な細工が施されたティーポットをこれでもかというくらいしっかりと手にしている。そんなに緊張することでもないだろうに。たかが紅茶を入れるというそれだけの行為に、こんなに緊張している彼女を見るのは初めてだ。
 変に意識するから手が震えてしまうのだろう。落ち着いて肩の力を抜いたらどうかと提案しようとしたのだが、口を開いた瞬間「アスベルは黙ってて!」と半ば叫ぶようにして言葉を封じられた。こういう時、シェリアにはとても悪いと思うがからかいたくてしょうがなくなってくる。最近まではあまり自覚したことはなかったが、どうやら俺はそういう性分らしい。
「シェリア」
「だから、ちょっと待ってってば!」
 丁度良く葉が踊る頃合を見計らって声をかけると、シェリアは実に慎重な手つきでカップに紅茶を注ごうとして、手を止めた。かたかたと小さく震えている。俺はこっそりと――シェリアには気付かれないように笑って、行儀悪く頬杖をついて囁いた。
「そのティーセットな、母さんがラント家に嫁ぐ時に持ってきたものなんだ」
「お願いだから黙ってて! こんな折れそうな陶器を扱うだけでも緊張するんだから」
「ウィンドル王家も御用達の職人が作ったもので、この世に二つとないんだぞ」
「……う、嘘でしょう?」
「本当」
 ポットよりも更に繊細なカップに茶を注ぎながら、シェリアの顔は真っ青を通り越して白くなっていた。女性を必要以上に怖がらせるのは良くないよ、アスベル。友人の言葉を思い出して苦笑いした。だって、これは予想以上に楽しいんだよ、リチャード。シェリアときたら、怖いものが苦手なのはもちろん、ちょっとした嘘だって信じて怖がってしまうんだ。子供の頃も散々からかっては怒られてきたが、この性分はどうやら大人になったからといって改善されるものではないらしい。
「あ、紅茶こぼすなよ。このクロスもストラタからの輸入品なんだ」
「うー!」
 泣きそうな顔で唸りながら、シェリアはぎこちなくもほとんど完璧な所作で二つのカップに紅茶を注ぎ終えてしまった。何のトラブルもなかったのはちょっと残念だ。クロスもティーセットもなかなか値を張るものだというのは本当の事だが、そんなにがちがちに緊張するほどのものでもない。と、俺は思う。
 大きな仕事を終えたシェリアはというと、音も立てずに慎重にポットを置いて、特に大きなトラブルもなく紅茶を淹れられた事に心底ほっとしていた様子だった。焼きたてのクッキーが載ったこれまた美しい色の皿を、丁寧に机に置きながら眉を吊り上げている。
「全く、珍しくアスベルからお茶のお誘いがあったと思ったら、こんなに大切なティーセットを扱わせるなんて!」
「別にいいだろう」
「良くないわ! もうほんとに、……本当に寿命が縮むかと思ったわよ!」
「それは困るな」
 ただ単にシェリアの困る姿が見たかったんだ、という目論見は欠片程も見せずにカップを手に取る。
 紅茶の柔らかな香りがふわりと漂った。祖父譲りで紅茶を淹れるのが得意なシェリアの、最近見つけたというブレンドティーはミルクによく合う。
「もうぜーったいに、アスベルにお茶は淹れないからね」
 砂糖とミルクをたっぷり入れたカップをかき混ぜながら、シェリアはこっちを見ずに拗ねたように言い捨てた。からかって怒らせたあとは、ちゃんと機嫌を直してやらないといけない。これは子供の頃からの決まり事だ。
「そんな事言うなよ。たまには二人でお茶しようって最初に言い出したのはシェリアなんだから」
「それはそうだけど……」
「それに、俺はシェリアにこうしてお茶を淹れてもらうのが嬉しいんだ」
 そう言って一口紅茶を啜る。言外に含んだ意味はきっと知らない。知らなくていい。俺のちょっとした一言に振り回されて、どんな表情も見せてくれるシェリアは可愛い。だから、このささやかな楽しみを気付かれてはならないんだ。
 案の定、シェリアはぱっと頬を染めて口ごもった。困ったように眉尻を下げて、手の中でカップを握りしめている。さっきはあんなに繊細な細工が折れやしないかと気にしていたのが嘘みたいだ。
「……わかったわ」
 少しの沈黙の後にしおらしく呟くシェリアの表情は、よく見ると照れたようにはにかんでいる。ばら色の髪が頬にかかっているのを指先ではらってやると、今度はくすぐったそうに目を細めた。
「じゃあ、今度はアスベルが淹れてちょうだい」
「シェリアが教えてくれるなら」
 反射的に答えると、シェリアは満足したように笑ってミルクティーを優雅に飲んだ。季節の花を象った白いティーカップが、彼女の白い手によく映える。

 頬に影を落とす睫の長さに見とれながら、果たして何気ない一言に一喜一憂しているのは、シェリアと俺のどちらなのだろうと考える。そんなことを考えたって、何の意味もないのに。
 きっとどちらでもあって、どちらでもないんだ。俺達はお互いに言葉と心で縛り合い、踊らされているのだから。



100124// ミルクティー・ロマンス