「さあ、もう朝よ。起きなさい」

 シェリアの声が、いつも心地良い眠りの世界からわたしを浮上させる。
 シェリアはいつもみんなの中で一番に目を覚まして、きちんと身仕度を整えてからわたし達に声をかける。まるで母親みたいだ、とはアスベルの言。わたしは母親というものがよくわからないけど、シェリアがいつもそうしてくれることは嫌いじゃない。きっとみんなも、そんなシェリアのことが好きだと思う。母親ってそういうものなのかもしれない。
 わたしが瞼を開いてシェリアを見ると、彼女は「おはよう」と微笑みかけてくれる。わたしも「おはよう」と返すと、満足そうにひとつ頷いてくれた。
「パスカルは?」
「一応さっき起こしたんだけど、この通りよ」
「……寝てるね」
「あと5分ですって。まったくもう」
 呆れて溜息を吐きながら、でもシェリアは「しょうがない子ね」なんて言って笑う。
 パスカルはシェリアよりも年上なのに、シェリアのほうがお姉さんみたい。
「ソフィ、顔洗っていらっしゃい。あとで髪を結んであげる」
「うん」
 シェリアはよくわたしの髪を結びたがる。以前に「自分でできるからいいよ」って言ったら、「私がしたいだけなの。だめかしら?」とちょっとしょんぼりした様子で尋ねられた。それがあんまりにも残念そうだったので、「だめじゃないよ」と首を振った。だからというわけじゃないけれど、それ以来よくこうして髪を結んでもらっている。それに、シェリアにそうしてもらうの、わたしは好きだから。

 洗面所から戻ってくると、シェリアは荷物の整理をしているところだった。パスカルは寝返りを打ったのか、布団を抱きしめて気持ちよさそうに眠っている。
「洗ってきたよ」
「じゃあ、ここに座って」
 ぽん、とベッドの端を叩いたので、わたしは言われた通りに腰掛けた。
 眠っている間にくしゃくしゃになってしまった髪を、丁寧に梳いてもらう。くしにひっかけないように、一房ずつ、優しく扱うシェリアの手は温かい。
「ソフィの髪はとっても綺麗ね」
 慣れた手つきで髪を二つに分けながら、シェリアは楽しそうに囁いた。
「そうかな」
「そうよ。ラベンダーや秋の朝焼けみたいな綺麗な色をしているし、まっすぐでさらさらしているもの。とっても素敵だわ」
 歌うようにシェリアは囁く。自分の髪をそんな風に考えたことなかったから、わたしはびっくりした。事前に「動かないでね」と言われてなければ、きっと驚いて振り向いてしまったに違いない。
 自分の髪のことを素敵だと言われて、わたしは胸がどきどきした。アスベル達に教えてもらった、嬉しいって気持ちがふわふわとわたしの中に漂う。片方をきちんと結ってもらいながら、わたしは嬉しい気持ちのまま口を開いた。
「あのね、シェリア」
「なあに?」
「わたしもね、シェリアの髪はとっても素敵だと思う。あたたかい色をしていて、ふわふわやわらかいの」
 シェリアみたいに綺麗な言葉が出てこなくてちょっぴりもどかしい。けれど背中のほうでシェリアがかすかに笑う気配がしたから、言いたい事がちゃんと伝わってると思う。
「ありがとう、ソフィ。そういう風に言われたことってないから、とっても嬉しいわ」
「本当?」
「ええ」
「シェリアが嬉しいと、わたしも嬉しい」
「私もよ。……さあ、できたわ」
 ぽんと肩に手を置かれて手鏡を渡される。いつもと同じ二つ結びは、白いリボンできれいに結わえられていた。
「これ、シェリアのリボン?」
「ソフィのために買ったのよ」
 振り向くと、シェリアはとても楽しそうにふんわりと笑っていた。
「この間見かけて、ソフィに似合いそうだと思ったから」
「ありがとう、シェリア」
 手鏡の中に映る自分はびっくりするくらいに微笑んでいた。首をかしげると、白いリボンも同時に揺れる。わたしはなんだか楽しくなってきて、しばらくの間手鏡を握り締めていた。

「さあ、そろそろパスカルを起こさなきゃ」
 すっかり荷物の整理を済ませたシェリアは、もごもごと寝言を呟くパスカルに向き直っていた。パスカルは深い眠りの中で、まだ起きる様子は微塵もない。
「寝坊しちゃうね」
「本当に困ったものね。ソフィはアスベル達が起きてるか見てくれるかしら?」
「うん」
 お願いね、と声をかけられながら、わたしは扉を開けた。
 廊下は朝の静けさに包まれて、しんとした空気があたりに漂っている。朝のいつもの雰囲気。世界のすべてがまだまどろんでいるような、でも目を覚ます一歩手前のような、そんな雰囲気がわたしは好き。
 扉を隔てた部屋の中から、パスカルを起こそうと苦戦しているシェリアの声が聞こえてきて、わたしはなんだかおかしくなって一人で笑った。
 アスベルもヒューバートもまだ寝てるかな。きっと教官はちゃんと起きてるだろうな。
 一人ひとりの顔を思い浮かべながら、わたしはアスベル達が泊まっている部屋へ向かう。
 窓の向こうでは小鳥達がせわしなくさえずっている。晴れた空が、みんなに目覚めの時を連れてくる。
 今日はいい天気になりそう。
 扉をノックしながら、わたしはいつの間にか、教官に教えてもらった歌を口ずさみ始めていた。



091227// Good Morning World