王位継承にあたって、儀式やら取り決めやら公務の引継ぎやら、ある程度の繁雑な事項もやっと一段落した頃、六代目国王ヴァイル・ニエッナ=リタント=ランテがまず真っ先に考えたのが「いい加減髪を切りたい」という事だった。
 元より未分化の頃は髪型も服装も動きやすさ重視で、出来得る限り無駄を失くした格好を好んでいたのだが、ここ最近は儀式用のやたらとずるずるした服を着せられるわ、目の回るような忙しさに篭りの期間ですっかり伸びた髪を切る暇はないわで何となくむず痒い日々を送るはめになっている。勿論、成人した身であるからには、当然子どもの頃のように気安い格好は出来ない事ぐらい承知しているが、せめて煩わしい長さになってしまった髪くらいは以前のように短く切ってしまいたい。

 と、いうような事を溜息混じりにぼやいたところ、レハトはヴァイルの予想外の言葉を返してきた。
「別に切らなくてもいいんじゃない?」
「えー、だってすごい邪魔だよ? 朝起きたら頬にかかってて鬱陶しい事もあるし、いちいち結わなきゃいけないし、剣を振る時だって短い方が邪魔にならないし。舞踏会の時なんて最悪。服に合わせて飾り紐まであれこれ持ち出されて、挙句の果てにすごい悪趣味な飾りまで持ってくるし」
「別にあの人達も悪気があってそうしてるわけじゃないでしょう」
「あそこまでいくと悪意以外の何物でもないと思うけどね」
 半分本気を込めた冗談を言って肩を竦めてみせたが、実際、飾り紐の件は最も始末の悪い案件だった。
 もともと衣裳を見繕うために控えている侍従達は、以前からヴァイルをどう飾り立ててやろうかと画策していた様子だった。それが成人して王となり、それなりに着飾る必要も出てきてからはここが腕の見せ所だと言わんばかりに妙に張り切ってしまっているのだ。
 事あるごとに色とりどりの飾り紐を持ってきては、これはどの衣装に合うだとか最近の流行はこういう装飾のものだとか、この色はレハト様の好みですよ、だとか長々と喋り続ける事もしょっちゅうだ。ここまで来ると、正直子どもの頃散々逃げ回っていた事への腹いせとしか思えない。
 思い出すと余計にこの髪が煩わしく思えてきて、ヴァイルは重い溜息を吐く。
 侍従に反対されるようならいっそ自分で切ってしまおうか。どうせこのままでも良い事なんて一つもないんだし。でも自分で切るのは結構難しそうだ。レハトにも手伝ってもらおうか。
 本格的にその方法を考え込んでいたところに、レハトは「でも、」と控えめに切り出し、軽く微笑みを浮かべた。
「私は好きだけどなあ。ヴァイルの髪。ふわふわして、ちょっと癖があるところとか。短くても長くてもいいけど、せっかく似合ってるんだから切っちゃったら勿体無いよ」
 好きだけどなあ。
 レハトの何気ない一言がヴァイルの脳内で甘く響いた。その一言だけでもヴァイルの心境を変化させるのに充分の威力を持っていたのに、更に小首を傾げる動作が加わる。
 これは反則すぎやしないか。と考えたところで、ヴァイルはほとんど無意識の内にレハトの細い身体を抱き寄せてしまっていた。
 わっ、と色気のない声を上げたレハトは、それ以上声も上げず、かと言って反抗するわけでもなく大人しく腕の中に納まっている。それがまた嬉しくて可愛くて、抱き寄せたままそのつややかな髪をそっと撫でてやった。
「……やっぱいいや」
 腕の中の感触と戸惑ったように聞き返す声を聞くと、なんだかさっきまで悩んでいた事が心底どうでも良く思えてきた。
「レハトがそう言うなら、しばらくはこのままでいい」
「え、いいの?」
「いいの」
 我ながら単純だな、と内心笑ってしまう。でも、これが本心なのだから仕方がない。
 レハトがそれで良いと言うのなら、全てはその通りにすべきなのだ。髪がちょっと煩わしいくらい、何とでもなる。
 そう結論付けて、ヴァイルは彼女の髪に指を通す作業に没頭した。
 レハトのさらさらとした髪の感触が心地良くて、てのひらを何度も往復させてしまう。
 彼女の髪だってヴァイルと同じくらいに伸びていて、きっと侍従達はヴァイルと同じように、レハトの髪の手入れも楽しんでやっているに違いなかった。時々華やかな髪飾りを着けたり、清楚なかたちに結い上げたりしているのを見て、やっぱりレハトは女を選んで正解だったとしみじみ思ったりもした。
 これで急に「邪魔だから切りたい」とでも言おうものなら、全力で反対するつもりだ。
「ヴァイル」
「ん?」
 少し腕をゆるめてレハトの顔を覗き込む。彼女は照れくさそうにはにかんで、内緒話をするかのように声をひそめた。
「あのね、時々でいいから、私にもヴァイルの髪を結わせて。綺麗にできないかもしれないけど、でもちゃんと練習するから。だからまだそのままでいてね」
 そんな頼み事をされて否と言えるわけがない。
 ヴァイルは再びきつく彼女を抱きしめて、しばらくの間その甘い香りとやわらかさを楽しんだ。

 その翌週、舞踏会を控えた衣裳部屋で、国王陛下と王配陛下が二人仲良く飾り紐や髪飾りを検分していた姿が見られた。あまりにも仲睦まじいその様子に侍従達は声をかけるタイミングに窮したのだそうだが、それはまた別のお話。



100523 // 髪飾りの需要
こいつらこんな調子で年中いちゃいちゃしてるんじゃないかな!!!