天賦の才能。努力じゃどうにもならない領域。生まれ持っての天才。
 俺にとってのあいつはそういうカテゴリに属する人間で、それは俺にとってはあまり好ましくない部類に入る。とにかく何があろうとも冷静沈着。こいつが慌てたり焦ったりするところを、俺は一度も見たことが無い。タルタロスで突然背後からシャドウに襲われた時も、授業中に唐突に難しい問いかけをされた時も、いつだって無表情のまま、淡々と対応している。
 勉強だとか運動だとかは、まあ、どうでもいい。あいつが普段ぼんやりしてるくせに、転入してから最初の中間テストで見事に学年トップの座を獲得しても、短期間で運動部のエースに上り詰めても、それは全くどうでもいい話だった。面白くないのは、俺とほぼ同時期に覚醒したはずのペルソナ能力までもが『特別』だったことだ。
 そもそも『ペルソナ能力の覚醒』という非日常で特別な現象が俺の身に起こったことは、俺にとって最高の喜びだった。退屈な日常を壊す刺激的な戦い。子供の頃憧れたテレビのヒーローのように、人々を救うための正義の戦いを繰り広げる。うわ、俺ッチってばかっこいいじゃん、と自分に酔ったりもする。
 けれどあいつはそんな俺や、未だに召喚器のトリガーを引くのを少し怖がっているゆかりッチを嘲笑うかのように、冷静に淡々と引き金を引いて俺やゆかりッチの何倍もの量のシャドウを殲滅していく。
 そう、あいつは影時間の中でさえ、生まれ持っての才能を持っていて、努力じゃどうにも出来ない領域から、平凡な俺を眺めている。冷静というかどこか冷たすら感じる、あの黒い目で。あいつと視線がかち合うと、決まって何かドロドロとしたものが、胃の奥あたりからふつふつと湧いてくる。
 やめろ。そんな目で俺を見るなよ。
 怒鳴りつけて吐き出したい衝動は、いつもその視線に捻じ伏せられていた。

「どうした、順平」

 タルタロスの探索中、急に静かになったことを案じてか、リーダーは振り向いた。
 怪訝そうな声とは裏腹に、無感動の目は冷たい。利き手に握られた剣は最近新調したものだったが、既に使い込まれていて彼の手にしっくりと馴染んでいるように見える。それは自分なんかより、ずっとたくさんのシャドウを倒しているという証でもあった。
(……なんでこいつが、こいつだけが『特別』なんだよ!)
 沸点を越えそうになったドロドロの感情は、剣の柄を握ることで抑えた。彼はいつまで経っても沈黙しか寄越さない順平に半ば呆れながら、愛剣を軽く振って再び歩き出す。
 そうだ。何においても完璧なリーダー様には、どうせ平凡な俺の気持ちなんか一片たりとも理解できないに決まっている。特別な彼は、いつだってどこか遠くて高いところから、こちらを見下ろしているのだから。

070321 //天上のかみさま







 私にとっての大切は、あなたの傍にいること。私はあなたの傍にいます。あなたがそれを望まなくても、私はあなたを見守ります。傍にいます。
 先の通りをきっちりと述べた少女に半ば呆れながら、岳羽ゆかりは盛大に溜息を吐いた。
「ねえ、アイギス。だからってこれは……ないんじゃない?」
「ないことはないであります」
「いや、だからさあ……もう、キミもなんとか言ってよ!」
「なんとかって……」
 全くこの男は。タルタロスでの冷静沈着っぷりがまるで嘘のように、今は困惑してうろたえているだけの何とも情けない醜態を晒している。
 アイギスのこの行動は今に始まったことではないが、それにしたってもう少し思考回路をどうにかしたほうがいいと思ったりするのだ。機械だからまあ多少は目をつぶるとしても、年頃の少女の外見と自我を持っているのに男の部屋に堂々と侵入したり(しかもピッキングまでやってのけた)、こうしてデート(なのかな、これは)の最中にくっついてくるのも如何なものかと思う。というか、何故か慕っている彼の言うことはきちんと聞くのだから、彼が一言ビシッと言ってやれば万事解決、ということになりそうなものなのに。
「じゃあ、折角来たんだからアイギスも一緒に服買う?」
 はい? なんですって?
「服、ですか」
「そう。俺も岳羽に付き合わされてて――って、岳羽?」
「……ばか!」
 ゆかりは大声で叫んでくるりと身体を反転させた。ポロニアンモール中に響いた罵倒の声に驚きを隠せないといった表情の彼が、しかしどうしていきなりそんな言葉をぶつけられたのかわからないと言った様子で「岳羽、ちょっと」とかなんとか言っている。
「知らないわよ馬鹿! もういい一人で買い物する!」
 極め付けに捨て台詞を残して迅速にその場を去ろうと歩き出すと、聞き慣れた足音とこちらを呼ぶ声が聞こえた。多分そこらの通行人には乙女の純情を持て遊ぶ不埒な男とでも思われているだろう。いい気味だ。

070321 //こっちを向いてお嬢さん







 あたたかいもの。あまいもの。そのどちらも、人を安心させる魔力が宿っているのだと山岸風花は信じて疑わない。お布団、こたつ、人の体温。チョコレート、クッキー、いちごのタルト。そのどちらも備えたとても素敵な飲み物がこの世に存在することを、風花はかみさまと農家の人と、それからマヤ文明に感謝した。ああ、なんて素晴らしいの。大きめのマグカップに注がれたそれを一口含むと、自然と幸福に溢れた溜息が零れる。
「リーダーも飲みます? ココア」
 ラウンジのソファでコンビニ弁当を食べている彼に声をかける。
 風花は今とても幸せで、その幸せを他の誰かにおすそ分けしてあげたかった。しかし彼はそんなことなどお構いなしに、少しだけ眉をひそめて机に置かれた缶コーヒーを指差す。「飲み物はあるからいい」の意なのか、それとも「甘い物は苦手だから」ということなのか判断はつかないが、もしかしたらそのどちらも含まれているのかもしれない。
 ああ、折角こんなに幸せになれるのに。
 風花は残念で仕方がなかったが、強要するのも何だか悪いので(というか、それはおすそ分けとは言えないので)肩を竦めて幸福の続きを堪能することにした。
 普段シャドウだのタルタロスだので疲れているみんなにも、できればこんなふうに安心できる時間があったらいいと思う。ココアのあたたかさのような安息は、今の特別課外活動部には無いに等しい。癒しといえばコロマルがそうかもしれないが、それとはまた別の次元の話だ。そう、例えば、幸福を凝縮したような甘いお菓子を、みんなで囲んで食べるとか。それだったら、人も動物も(多分機械も)分け隔てなく素敵であまい時間を過ごせると思う。
「そうだ、決めました。私、みなさんにマドレーヌを作ります!」
 たった少しの間だけかもしれない。それでも、甘いものをみんなに振舞ってみんなで同じ幸せを共有したら、きっととても素敵だと思う。風花は自分の名案にとても満足して、「あ、甘さ控えめにしますから、リーダーも大丈夫ですよ!」と付け加えた。しかし当のリーダーは箸でつまんでいたから揚げをぽろりと落として、至極真面目な様子でのたまった。
「ごめん、いろいろと無理」
「え? ……リーダー、顔、真っ青ですよ?」
 大丈夫ですか?と問いかけると、なんでもないよでも岳羽あたりが手伝えばまあなんとかなるんじゃないかな、などと早口で妙な言葉が返ってきた。風花は不思議に思いながら、あたたかくてあまいココアを求めてマグカップに口をつけた。

070322 //ファンタスティック・スイート







 最初は多分、目、だった。

 茶色の瞳に怯えを混ぜて、彼女はそれでも真っ直ぐ僕を見る。僕は動かない。いや、動けないといったほうが正しい。真夜中の寮、妙なこどもにカードを手渡され、言われるがままにそこに署名をした途端、こどもは消えてその代わりに出てきたのは同い年くらいの女の子だった。わけのわからないまま立ち尽くす僕に向けて、彼女は茶色の目に怯えを混ぜて、それでも僕を見据えて、警戒心を露わにしている。一体なんなんだ、とか、キミは誰なんだ、とか、そういった類の言葉は僕の口から吐き出されることはなかった。もしかしたら僕はもう、その時から、その目に捕らわれていたのかもしれない。

「なーにニヤけてんの」
 彼女が僕の顔をひょいと覗き込む。半眼で呆れたような茶色の目。今は恐怖も警戒心も見当たらず、どこにでもいるごく普通の女子高生の目をしている。僕はいつのまにか思考の海に沈んでいたらしく、そこでようやくここが寮のラウンジで、何をするでもなくコーヒーを飲んでいたことを思い出した。手の中の缶は、もうすっかりぬるくなってしまっている。
「そんな顔、してた?」
「うん。なんか妙に楽しそうだったよ。キミじゃないみたい」
 失礼な。まあ、確かに楽しそうに笑っている僕は僕じゃないかもしれない。
「何考えてたの?」
「別に。岳羽と最初に会った時のこと、思い出してただけ」
 なんでもないように言って、ぬるいコーヒーを喉に流し込む。岳羽は一瞬何か考えていたようだが、「ああ!」と合点がいったようにぱん、と手を打った。
「あの時のことね。……でも別にニヤける要素なんでどこにもない気がするんだけど」
「うん、いや、だからさ。もしかしたらその時既に岳羽のこと好きになってたかもしれないってこと考えてた」

 多分、あの負の感情を混ぜ込んだ二つの目に、僕は惹きつけられたまま動けなかったんだ。
 彼女の脚に巻かれたホルスターに銃が収まっているのを見つけた時、僕の心臓は少し跳ねた。それは恐怖とも焦燥とも取れるし、もしかしたら純粋な高揚感だったかもしれない。今となってはもう何もわからない。それでもあの夜の出来事を思い返す度に、最初に思い浮かべるのは岳羽のあの目だった。恋に落ちるにはあまりにも不穏な、けれども目を逸らすことを許されない、曖昧に揺らぐ瞳。それは獣に例えるにはあまりにも弱弱しく、子猫に例えるにはあまりにも力強い。
 もしあの時、桐条先輩の制止がなければ、彼女はどうしていただろう。4月の満月の夜のように、果敢にも己の頭部に銃を突きつけただろうか?それとも、恐怖に縛られ、身動き出来ずに立ち尽くしていただろうか?

「……いや、ない。それはないから」
「そう?」
 岳羽の呆れたような溜息に、僕はほんの少しがっかりした。
 もちろん僕は岳羽に一目惚れした覚えはなく、岳羽だってそうなのだと思うけれど、最初に出会ったあの目に何も感じなかったといえば、それは嘘になる。
 お互い、どこがどう好きになったとか、そういう決定打は全く無い。特別課外活動部としてタルタロスやシャドウに立ち向かっていく中で仲間としての絆が生まれて、少しずつ相手のことを知っていって、ゆっくりとした歩調でお互いを好きになっていったのだ。それでもたまに、僕と彼女が最初に出会ったあの夜のことを思い出しては、もしかしてあの目に惹かれたのかなあ、と思ったりもする。決定打ではないにしろ、あのぐちゃぐちゃの感情が混じった茶色の双眸から目を逸らせずにいたことは、紛れも無い事実なのだから。

070413//惑星に導かれるまま







「例えるなら、ニケですね」
 そう言って、風花はにっこりと笑った。
「そんな、私には似合わないよ」
 少女は苦笑する。
 勝利の女神と謳われるほど、何をしているというわけではないのだ。
 ただ少女は、たまたまペルソナを自在に付け替えることができるだけ。
 それがたまたま、探索における戦闘の要になり得ると判断されただけのこと。勝利を約束する女神と言うよりは、共に戦う者を選ぶワルキューレの方が近い気がする。
「でも、いつも正確な判断を下して、確実に勝ってるじゃないですか。実際にあなたはリーダーとして充分な働きをしていると思います」
 おっとりとした風花が真剣な表情でそう言い切るので、少女は何と答えてよいのか戸惑った。
「だから、大丈夫ですよ。次の満月だってきっと――」
「そんな保障、ないよ」
 ふるふると首を振ると、風花は怪訝そうに首を傾げる。  風花の信頼は、嬉しい。風花だけじゃない。特別課外活動部のみんなは、私に絶対的な信頼を寄せている。タルタロスで彼らの視線を受けるたびに、私は一瞬足を竦ませてしまうことを、彼らはきっと知らない。そう、こわいのだ。私は、こわい。
「私ね、確実に勝利を掴もうとしてるんじゃなくて……ただこわいだけなの。みんなが怪我してしまわないか」
 うまく言える自信はなかった。
 戦闘の要としてうまく立ち回っているつもりでも、それが本当に正解なのかはわからない。
 それがリーダーに相応しいのかどうかすらも。
 ワルキューレは戦へ向かう英雄を立ち上がらせても、勝利の女神にはなり得ないのだ。
「大丈夫ですよ」
 少女がふるえる睫をついに伏せようとした時、風花はきっぱりと言い切った。
「そのための仲間ですから。私たちが、全力であなたをサポートします」
 だからあなたは、こわがる必要はないんです。
 彼女はそう言って、にっこりと花のように微笑んでみせた。

090907//いとしのワルキューレ