朝もまだ遠い、夜の只中に私はふと目覚めた。
 久しぶりに彼女の夢を見た。彼女の微笑みと美しい声を受け止める、儚くも心地良い、実に穏やかな夢だった。
 にも関わらず、私は背筋にいくばくかの寒さを感じて身震いした。彼女の夢を見ると、決まって空恐ろしくなる。心地良い眠りの世界から叩き出され、広い草原に放り出された子供のような、耐え難い孤独と恐怖を感じる。心臓がいくらか早く音を刻んでいた。首筋に触れてから初めて、汗で髪が張り付いていたのに気が付いた。
 私は物音を立てぬようにひそやかに露台に立ち、穏やかに眠るアネキウスの輝きを見つめる。夜空に散りばめられた星をひとつひとつ見やって、いずれは私もその内の一つに数えられるのだと、いつか聞いた話を思い出していた。
 星をいくら数えたところで、そこに彼女の面影は見当たらない。彼女の魂の輝きの強さは星にも現れているだろうと露台に出るたびに空の端々まで目を遣るのだが、私にはどれも同じように見えて、結局は溜息と共に紺碧の空から目を逸らすのだった。

 彼女が神の国に召されてから、幾分か時が流れてしまった。
 彼女を失った時に感じた、命ごと身体の奥底から抉られるような痛みも、時を経た今では随分と落ち着いてしまっている。――許し難い事だった。
 記憶の中に鮮烈に残っていたはずの彼女の笑った時の目元、長い髪、美しい表情、きれいに切り揃えられた爪の形や、眼差しの強さが、少しずつ輪郭を失って溶けていく。私の中で大切に育まれていた、決して小さくはなかった彼女への想いもひょっとしたら同じように薄れていく時が来るのだろうか。そう思うと、ぞっとした。私がただそうしたくて精一杯届けていた愛も、空までは届きはしまい。行き場を失くした物は滞っていずれ朽ち果てる。泣きたくて仕方がなかった。
 そより、と一陣の風が髪を揺らす。リリアノ。小さく彼女の名を紡ごうとしたが、うまく声にならずに霧散した。私はただの一度だって、愛する人にそうするように彼女の名前を呼んだ事がなかった。結局最後まで、私は彼女の隣にはいられなかったのだ。
 私がいつかアネキウスの御許へ召された時には隣に並び立つ事ができるのだろうか。そうだと信じさせて欲しい。夢の中でさえ穏やかではいられない、私の身体中を巡るこの熱を祈りに変えるのならば、私はささやかな欲と願いを込めて祈らずにはいられない。彼女が聞いたらきっと呆れて笑うのだろう。だけど今だけはどうか、せめて一人の女を愛し続ける哀れな男として、貴方の面影に縋らせて欲しい。

 私は最後にもう一度だけ空を仰いで、そっと自室に戻った。
 愛した女の夢幻に怯え、それでも一時の甘い夢に縋るような男を、神は果たして御許へ誘うのだろうか。
 口許に自虐的な笑みを浮かべて、私は再び眠りに就く。
 すべては神の御心のままに。どうせあのたくさんの星の中に彼女がいるのかどうかすら、私には判別がつかないのだ。



100701 // 星は泣かない