「お待たせいたしました」
 ウエイトレスの笑顔とともに運ばれてきたのは、ふんわりとしたシフォンケーキとロイヤルミルクティー。ごゆっくりどうぞ、と笑いかけるウエイトレスにミクは中途半端な笑顔を浮かべて会釈をした。年頃の女の子がそうであるようにミクもケーキは大好きなのだが、今日、この時ばかりは笑顔ではしゃぐこともままならず、しばらくの間ケーキに添えられた生クリームとミントを眺めていた。その様子があまりにもおかしかったのか、向かいに座っていたカイトが不意にくすりと笑った。
「食べないの?」
「うぇっ? う、ううん。食べるよ! ……いただきます」
 緊張のために強張る手を意識してゆっくりとほどいてフォークに手を伸ばす。ナイフも使って一口大に切り分ける、その簡単な動作が今日ほどうまくいかない日はなかっただろう。ナイフが磁器の皿に擦れて耳障りな音を立てる。それがますますミクを焦らせる原因になって、自然と手が震えてしまう。
(落ち着きなさい、ミク。いつもどおりにやれば大丈夫なんだから)
 ミクはいつも仕事の前に自分自身に言い聞かせる言葉を思い浮かべながら、細く息を吸った。ケーキのシナモンの香りと、カイトが飲んでいるレモンティーの香りが混じってふわりと鼻をかすめるのがくすぐったくて、意識して手先の作業にだけ集中する。作業に集中していても感じるカイトの視線にますます身を固くしながら、ミクは半ば祈るような思いでゆっくりとケーキの欠片を口に運んだ。
「おいしい?」
「……うん」
 紅茶の葉が練りこまれたケーキに、生クリームをつけると素朴な甘さが舌の上に広がる。はずだ。正直こう見られていては味の判別もうまくできない。普段家で一緒に食事する時は全くそんなことはないのに、今は状況も手伝ってかカイトを強く意識してしまっていた。
 今日はお互いにオフ。昨日から一生懸命雑誌とにらめっこしながら選んだ服を着て、二人で映画を見たり、ごはんを食べたり、買い物をしたり、お茶を飲んだりしている。つまりこれは世間一般で言うところのデートというやつで、そして周りから見ても今のミクとカイトはデートをするような仲に見えるというわけで。
(デート、かあ)
 心の中で繰り返してみると、そのたった三つの音で構成された言葉はミクの中で大きな存在感を持って響いてしまう。憧れの異性とデート。意識すればするほど、ミクの手はますますぎこちない動きになって彼女を焦らせた。
 対して、カイトは落ち着いた様子でゆっくりとレモンティーを飲んでいる。その動作は普段と何ら変わりないもので、彼の指先にすら見惚れて手を止めるミクとは正反対だ。それどころか彼は、度々手を止めてしまうミクに対してやんわりと微笑んでさえみせるのだった。大人の余裕なのか、それとも単に兄としての表情なのか判別はつかないが、前者であったらいいとミクは思う。

「ミク、このあと行きたいところはある?」
 シフォンケーキが半分ほど減ったところで、カイトはゆるりと口を開く。ようやくスポンジの柔らかさとシナモンの香りを楽しめるようになっていたミクは、思いがけない質問にただ首を振るばかりだった。
「ううん、ないよ」
「じゃあ、もう少し付き合ってもらってもいいかな」
 尋ねるというよりも確認と形容したほうが正しい物言いに、ミクはこの二人だけの時間がぐんと延びることを確信して、思わず微笑んだ。
「うん」
 こういう時に限って言葉が少なくなりがちなのはどうしてだろう。もっと可愛く答えたいのに、ミクにはその先に続く言葉は思い浮かばなかった。誤魔化すように残りのシフォンケーキを切り分ける作業に没頭する。その最中でさえ、カイトの視線がこちらに向けられているので、再び指先が震え始めるのにどうしようもなく泣きたくなった。彼を意識するだけで、ミクはこんなにも不器用になってしまう。
「次はどこに行くの?」
 ぎこちなくなる動作をなんとか抑えてケーキの欠片を口に運ぶと、ミクはつとめて自然に見えるように振舞ってみせた。
「うーん……まだひみつにしててもいいかな?」
「どうして?」
「ミクを驚かせたいから」
 悪戯っぽく笑う兄の表情がいつもよりも大人びていてどきりとする。いつも笑顔を絶やさないカイトではあるが、その笑顔はミクが覚えている限りでは普段見るどの表情とも違う。ミクは急に喉の渇きを覚えて、冷めかけたミルクティーに口をつけた。



080605 // クリームに溺れるおひめさま
DOKIDOKI☆デートみたいなのを目指して撃沈