テレビの向こうから、馴染みのあるきれいな歌声が聞こえてくる。画面の中央で伸びやかに歌う歌姫が、最新の楽曲を披露しているのだった。きらきら輝く“彼女”の姿はまぶしいくらいにきれいで、とってもうらやましい。と、同時に、どうしようもないかなしみが胸に広がってしまうのは、きっと“彼女”がわたしと同じだから。
 どうして“彼女”はこんなに完璧な音が出せるんだろう。わたしはため息をついた。性能だけを見れば、わたしは“彼女”とほとんど変わりないはずなのに、“彼女”はわたしよりもずっとずっときれいで、スポットライトに照らされたステージで、寸分のくるいもなく堂々と歌声を披露している。
 ふんわりとしたワンピースと大きな花のコサージュ。かるく巻いた髪をいつもどおりにふたつに結った“彼女”はあまりにも遠くて、わたしはもやもやしたものを抱えてぼんやりとテレビを眺めていた。ステージの“彼女”は歌い続けている。その一曲のために調律された繊細なソプラノは、ミディアムテンポのバラードをうつくしく奏でていた。
「やっぱりいいなあ、ミクの声は」
 隣で“彼女”の声に聞きほれていたマスターは、ほう、と感嘆のため息をついた。
「調教次第ではあんな声も出せるんだな。なあ、ミク。次の曲作るまでにもう少し声の幅を広げてみるか?」
「は、はいっ」
 急に声をかけられ、わたしはびくりと肩を震わせた。
 マスターはそんなわたしに少し驚いて、それから困ったように笑ってみせた。
「そんなに畏まらなくてもいいって言っただろ? もう1ヶ月になるんだから」
「い、いえ。あ、はい」
 あたふたと受け答えするわたしにまた笑いながら、マスターはわたしの頭にぽんと手のひらを乗せた。
「緊張すると、いい声出せないぞ」
「はいっ、すみません」
「すみませんはいらないよ」
「わ、すみません」
 わたしのへんな受け答えに、今度こそマスターは声に出して笑った。わたしは少し気恥ずかしくなって、目線をマスターから外してテレビを見た。
 いつの間にか“彼女”の歌は終わっていて、司会者からの簡単なインタビューにはにかんで答えている姿が映し出されている。
 そのしゃべりかたもわたしとは同じようで少しちがっていた。わたしは出荷されて一度もあんなふうに笑ったことがない。あんなにやわらかいしゃべりかたも、知らない。わたしと同じ姿をしているのに、わたしと“彼女”はまるで違っていた。ピンク色のリップでつやつやひかるくちびるが、わたしの知らない言葉を紡いでいる。月とスッポン。わたしはふとその言葉を思い浮かべて、よけいにかなしくなってきた。

「……わたしも“彼女”みたいになれるでしょうか」
 気づけばわたしは口を開いていた。
 マスターは一瞬すべての動作をとめる。いけない、余計なことを言ってしまった!とわたしが後悔するより先に、マスターの手がふわりとわたしに近づく。そのてのひらが少しこわくてわたしがびくりと肩をゆらすと、マスターは笑って、それからぐりぐりとわたしの頭をなでた。
「心配するな、ミク。お前には俺がついてる。そしていつか、スポットライトの当たる舞台で歌えるくらいに調教してやる!」
「わああ、マスター、ぐらぐらしますー!」
「うりゃ! もっとしてやる!」
「か、髪がほどけますー!」
 マスターはわたしの声に耳もかたむけず、ぐりぐりと気が済むまでわたしの頭をなでつづける。ぐしゃぐしゃに乱れる髪を少し気にしながら、わたしは“彼女”の表情を思い出していた。
 歌うことが使命であるわたしたちボーカロイドにとって、“彼女”はまさに最高のしあわせを手に入れているにちがいない。歌わせてくれる人がいて、歌をきいてくれる人がたくさんいて、ステージの上で自由に歌える“彼女”はわたしのあこがれだ。
 だけどわたしは、ほんとうは、“彼女”と同じ舞台で歌えなくたってかまわない。
 わたしを必要としてくれる人のために、その人だけのために、きれいな声で完璧に歌えたらどんなにしあわせだろう。その最高のステージまでマスターが連れていってくれるというのなら、わたしはマスターにどこまでもついていく。

 スポットライトを浴びてきらきら輝く“彼女”はとてもきれいで、心の底から本当にうらやましく思った。あんなふうにやわらかく笑えるのは、きっと歌をささげるべき人を知っているからなんだろう。
 わたしもいつかあんなふうに笑いたい。できることなら、だいすきなマスターのとなりで。



080929 // ゆめみる歌姫
量産型ミクとマスター